とろ
優しいのが好き。
そんなどこにでも聞くような、ありふれた言葉がある。
それは皆んな、好きな人には優しくするものだろう。別に特別なことじゃない。その人にとっては特別かもしれないけれど。
でも、それはその人が好きなのではなく、優しくされる行為が好きなのではないか?
その人が好きっていうのは、自分に優しくしてくれるその人が好きってことではないのだろうか。
もしかしたら、優しくしてくれる誰かは誰でもよかったのかもしれない。
前から特別な人がいるなら、その人が優しくしてあげるようになれば、その誰かは要らないのかもしれない。
そもそも、優しくするってなんだろう。
慰めること、褒めること、労わること、憐れむこと。それをどれだけ行動に出来るかが、優しさに繋がるのだろうか。
それはやろうと思えば誰でもいつでも出来ること。怪我をすれば、痛くない?一緒に病院行こうか?と言って行けばいい。何かを成し遂げたなら、凄いね、よく頑張ったね、疲れたなら、お疲れ様、何か食べたいものはある?とか言って行動すればいい。
それが優しくすることなのか。優しさって、もっとこう無償に与えるもので、揺るぎないものだと思う。
仮に風邪をひいたら、友達や周りの人は心配をする。大丈夫?や早く元気になってね、などの言葉を掛けてくれる。その後、まるで風邪を引いた友人なんて居なかったかのように、他人事のように、ゲラゲラ話したり、遊んだり、楽しんだりする。それは他人のことだから。
逆に親は心配してくれて、おかゆ作ったり、飲み物買ってきたり、会社休んでまで、一日付き添いで面倒見てくれたりする。たかだか風邪でそこまで心配し、面倒見てくれる人は親以外にはいないかもしれない。
僕は自分にとって、親が本当の優しさや愛をくれる人なんじゃないかと、思う。
そこに気付けない人や与えられない人、突っ撥ねる人。
わかるようでわからない。
ブログなんて書くものじゃないのかもしれないね。もっとこう
くんか、くんか
うひょおおおおお!パンツ最高ぉおおお!
ふみふみ
足ぃいいいもぉおお興奮するぅうううう!
踏んでぇええええええ!
とか、適当な感じていいのかもしれないね。
人の影響って大きいのかもしれないね。
ちゃんちゃん