メロスは立ち止まる


恥の多い日々を送ってきました。


あまり褒められるようなことはしてきませんでした。




時に、走れメロスのメロスがセリヌンティウスとの約束の為、日夜暴君の妨害を乗り越え、走りセリヌンティウスの所に着いたとする。





着いた先にメロスが見たのは、セリヌンティウスが刑場に連れてかれるところだった。







そこに居たのは、安心しきった、覚悟を決めた顔のセリヌンティウスと、その恋人だった。






その光景を見て、メロスは立ち止まる。




確かに一度友人を疑ったけれど、それでも信じて友人の所まで、大切な友人の所までぼろぼろになりながら、辿り着いた。



大切だったから、信じていたいから、そこまで走ったのだ。




その気持ちに偽りはない。





そして、セリヌンティウスも信じてたに違いない。それは死刑台に連れてかれる彼を見ればわかる。






だけど、彼を救うのは私ではなかった。彼のそばに居続ける覚悟をした、恋人だった。







メロスは涙を流す。






幸せになってくれ。私では君を救えかった。







こんな終わり方だったらどうだろう。

本当に必要な人は自分ではなく、違う人だったら。

それはタイミングもあるのかもしれない。もっと早くメロスが着いていれば、それはメロスになったのかもしれない。




それはさ、どうしようもないことなのかもしれないね。

セリヌンティウスにとっては、二人とも同じくらい大切で、愛していたに違いないよ。



それでも辛い。






僕はあまり自分を出してこなかった。

就職や進学等、居場所の環境が変わると、自分の殻に閉じこもりがちになるのだけれど。



12月に先輩が釣りに誘ってくれて、自分のグループに僕を入れてくれたことがあった。





釣りが好きだったから、行くのが楽しみだったのだけれど、それ以上に僕を輪の中に入れてくれて凄く嬉しかった。






それだけで気持ち的に支えにもなったし、やっと先輩たちと関わりが持てるようになって、僕の職場が少し柔らかくなって。出勤するのが少しだけ、楽しくなって。






そこからいろんな人と関わるようになって、自分らしさを、抑制していない自分をだせるようになって。





少しずつ職場が楽になっていった。







僕は今まで、人の様子を伺って自分にとって都合の良い状況なら本当のことを言って、自分に少しでもリスクがあることは言わず、相手の出方を待って。先に相手に言わせ。









そういう風にしていた。




でもそれでは僕はだめなのかもしれない。逃げでばかりでは本当のものは手に入らないかもしれない。

もし、欲しいのなら自分が傷ついてでも言うべきだ。


相手の答えに合わせない。自分が求めてる答えが返ってこないとしても。




そうしないと失いそうで。










今までの関係は僕にとっては思っていた以上にきつかった。

初めは割り切る為の行動だった。


初めでつまずいたとしても、割り切れるとどこかで過信していた。





XXと接する度に、過去が見え、現在がわかり、未来を想像していた。





悲しくなる






XXの中に敗北している自分を見つける度に悲しくなる。(きっとXXも、僕の中に知らない僕を見つける度に不安になるかもしれない。)




きっと見ていたのは、中にある鏡に写る自分なんだろう。








自信なんてなかった。必要なのは自分じゃないと思った。最初からそうだった。







いつも何か繋がりを求めていたのは、不安だったからだ。繋ぎとめておきたかった。それは、とても醜い。




不安。疑心暗鬼。矛盾した心。







もうこんなことはやめて、明るく前向きにしたい。

 





メロスになってもいい。







そうなれるのなら。






(だからどんな選択をしても後悔はしないでおくれ。少しでも後悔するのなら、後戻りしてもいい。)










精神的に強く繋がれる関係を作るにはどうしたらいいのだろう。







思えば僕には自分のことを相談出来る人が本当にいないのかもしれない。




そう感じることがあった。




前から思ってはいたけれど、改めて感じることがある。





それは僕が話さないから。





話したところで当たり障りのない回答が返ってくる。

自分で考えていた答えが返ってくる。

自分に合わない答えがくる。

出来もしない答えが出てくる。






そう勝手に決め付けて、相談をしないから。そうわかっているんだけれど、改善しない。








相談もされない。






相談出来ている人を見ると、羨ましくなる。







そんな信頼し合っている関係が羨ましい。自分のことを言える関係が羨ましい。









こう書いていると、独りよがりなことを書いて気持ち悪いとか思うだろう。






そう思うのは当たり前。





こういうのは誰にも見せない日記に書くものだ。






自分の中で完結させたくないから、ここに書く。

心の奥では、伝えたいと思ってるのかもしれない。






直接言うと、その場で答えを言わなくちゃいけなくなるだろうから。きっと都合のいい答えを見つけて返すかもしれないから。






そんな回答を求めているわけではないから。言いたくなければ言わなくていい。







だから遠回しにこの媒体を使っているのかもしれない。









いつか、こんなことを書かなくて済むようになりたい。






前書いていたブログはもっと違うことを書いていた気がする。





書く対象が変わると内容もガラリと変わってしまうものなんだね。






そのブログももう消してしまったけれど。





消した時に、友達になんで消したの?いつか後悔すると思うよ。と言われたのが今でも思い出す。







後悔はした。思い出として残しておくのが良かった。





人の記憶は時を経る度に薄まっていく。

だから、過去を懐かしむ為、自分を懐かしむ為にとっておいた方がよかった。








こんな痛いことを書いてるハンツキのブログもいつか消したくなる時が来る。







でも、消さずにとっておこうと思う。








今日、友達と食事に行ったのだけれど、お店に浜田省吾の曲が流れていました。







眠れぬ夜は〜電話しておくれ〜一人で朝を待たずに〜







浜田省吾のバラードは朝靄が出ている時に聴きたくなる