のどが渇いた。お茶

 

 

 

家に帰ってDVDの整理をしていました。

 

 

 

洋画のDVDレンタルの予告見てたんですけど、洋画の邦題ってダサいよね。

 

 

 

中身はすごくよさそうなんだけど、邦題を見た瞬間、コメディ?とか思っちゃうくらいダサいのと、それで興味がなくなっちゃうよね。

 

 

 

 

ん?

 

 

 

 

お気づきかな??

 

 

 

 

 

そう!文字が変化している!

 

 

 

 

 

ハンツキのブログに現れた革命児。

 

 

 

 

 

 

 

太いアンダーライン打消し

 

 

 

 

 

全てを組み合わせることも可能!

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログっぽい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあやらないと思うけどな!!!!!!!!!!

 

 

やみくも


青い空。白い雲。日差し。木々の緑。気温。蝉の声。






夏。7月下旬の終業式の日を想起させる情景。



最近はゲリラ豪雨や台風で天気があまりよくなかったから、久々に天気がいい。周りの景色に意識を傾けることがあんまりなかったから、少し新鮮。






去年の夏は秩父に観光に行ったり、花火見たり、江ノ島行ったりプールで遊んだりしていた。ずっと前に買った一眼レフをぶら下げて、たまの機会だからって写真やムービーを撮っていた。





見返すとなんだかその時を思い出して懐かしい。





一眼レフで撮った写真は、アイフォンとあまり変わらなかったりするけれど、うまく撮れれば、誰も踏み入れない切り取られた別の世界みたいな感じがして、ちょっと神秘的な感じがする。






カメラ撮る人って自分が写らないから、取られる側を観察することが出来るけれど、そこに自分がいないのは、ちょっと寂しかったりもした。








最近は一眼レフを持ち歩くことが少なくなった。






一眼レフを買ったきっかけが、肉眼で見る景色が一番綺麗だと思っていて、その景色に近い写真が撮りたかったから、バイト代をはたいて買った。






でもなかなかうまく撮れなくて、マニュアル本を買ったりしたけれど、少し読んだだけで本棚にしまってある。


やる気が出るときもあるんだけれど、難しくてなんだかやめちゃった。







空を見上げると、白い立体の雲がいくつも流れている。




ゆっくりと、ゆっくりと流れている。






雲の流れを見るのは好きな方だ。なんだか気持ちが和らぐ。

青い空間に白い塊があるのは、雲が映えると思う。






たまには地べたに寝っ転がって、雲の流れを見ていたい。





生まれ変わったら雲になりたいという人がいるけれど、その大半の理由がゆっくり進んでおおらかな感じがするから、自分もなにも考えず流れたい、どの感じなのだと思う。






雲もゆっくりと流れてばかりではいなく、速く、目を疑うような速さで流れたり、散り散りになったり、形を変えて流れている。





風に流されるだけの人生を送りたいのだろうか。風に影響され、自分が変わっていく人生を歩みたいのだろうか。

嫌なことも全部、風がつくりそれを有無を言わず受け入れなくちゃいけないのは嫌じゃないのか。






その悲しみもいずれ雨となって地面に流れて消えていくのだろうか。








僕も雲のようになりたいとは思わないけれど、雲のように白く、立体的になりたいと思う。







そろそろ研修が始まる。日常に戻る。

嫌なことも悲しいことも雲のように流れて、楽しいことや嬉しいことに形を変えてどこかに辿り着けるといい。








誰かの雲が僕のところにこないだろうか。

雨を降らせて、涼しませてくれないかな。






とろ



優しいのが好き。






そんなどこにでも聞くような、ありふれた言葉がある。








それは皆んな、好きな人には優しくするものだろう。別に特別なことじゃない。その人にとっては特別かもしれないけれど。







でも、それはその人が好きなのではなく、優しくされる行為が好きなのではないか?







その人が好きっていうのは、自分に優しくしてくれるその人が好きってことではないのだろうか。










もしかしたら、優しくしてくれる誰かは誰でもよかったのかもしれない。







前から特別な人がいるなら、その人が優しくしてあげるようになれば、その誰かは要らないのかもしれない。










そもそも、優しくするってなんだろう。






慰めること、褒めること、労わること、憐れむこと。それをどれだけ行動に出来るかが、優しさに繋がるのだろうか。








それはやろうと思えば誰でもいつでも出来ること。怪我をすれば、痛くない?一緒に病院行こうか?と言って行けばいい。何かを成し遂げたなら、凄いね、よく頑張ったね、疲れたなら、お疲れ様、何か食べたいものはある?とか言って行動すればいい。






それが優しくすることなのか。優しさって、もっとこう無償に与えるもので、揺るぎないものだと思う。








仮に風邪をひいたら、友達や周りの人は心配をする。大丈夫?や早く元気になってね、などの言葉を掛けてくれる。その後、まるで風邪を引いた友人なんて居なかったかのように、他人事のように、ゲラゲラ話したり、遊んだり、楽しんだりする。それは他人のことだから。




逆に親は心配してくれて、おかゆ作ったり、飲み物買ってきたり、会社休んでまで、一日付き添いで面倒見てくれたりする。たかだか風邪でそこまで心配し、面倒見てくれる人は親以外にはいないかもしれない。






僕は自分にとって、親が本当の優しさや愛をくれる人なんじゃないかと、思う。







そこに気付けない人や与えられない人、突っ撥ねる人。








わかるようでわからない。







ブログなんて書くものじゃないのかもしれないね。もっとこう






くんか、くんか









うひょおおおおお!パンツ最高ぉおおお!







ふみふみ










足ぃいいいもぉおお興奮するぅうううう!









踏んでぇええええええ!











とか、適当な感じていいのかもしれないね。








人の影響って大きいのかもしれないね。












ちゃんちゃん



平凡な一日


本日もお更新。






簡単に今日一日を振り返る。興味ないかもしれないけれど、仕方がない。ネタがない。









今朝は、お腹が痛くて痛みに耐えながらパンを食べ歩きし、研修センタまで歩いた。







その所為なのか、時間ギリギリだった。1分前に着いた。







思ったよりも同期が居たけれど、普通の感情だった。





午前中は座学で眠くなるかと思ったけど、寝なかった。その反動で、午後一の座学でやっぱり寝た。







夕方に近づくにつれ、僕の集中力がなくなっていき、演習中、変顔(先輩の顔芸)や前の同期の顔真似をしていた。








なんなんすか、ハンツキさん。と向かい合っている同期に言われる。





その同期から同期が辞めたことを聞き、えーそうなんだーとか言ってたら、その同期も辞めるらしい。









なんだ、そうなのか。







最後、研修の終わりに、講師が平和な研修が終わりました。ご苦労様でした、と告げていた。












終わって時間があったから、帰りにDVD借りた。家でみようと思って再生して数分で止めて少し寝た。












つまんないだろ?







そうなんだろそうなんだろって。










喉が砂漠化していく。







ごごごごご









くしゃみがまだおさまらない。








平日

 

今日は疲れた。

 

普通の一日だったけれど、疲れるものですね。

 

 

 

雨が強く、少し外に出ただけでびちょびちょになってしまう。

 

 

 

 

今朝、同期に「ハンツキさん、また左目がきもいことになってるよ」と言われ。

先輩に「もっと声出せ、それができるようにしなくちゃあ、この先辛いのは自分だぞ」と軽く説教され。

後輩とコナンの映画の話をし。

 

 

 

 

でもずっと地下に閉じこもっていたから、特にこれといったことはないです。

 

 

 

 

 

お風呂から上がり、あつーと思いながら何となく開いたスマホに「ぶろぐ」と通知が来ていて、あぁ、と。

 

 

 

 

 

通知に「ゆ」一文字だけ何回も来る。

 

 

 

 

 

 

僕に何が言いたいのだろう。

 

 

 

 

特に何もなさそうだけれど。もしかしたら何か言いたいわけではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

今日食べた激辛マニア味のスコーンが果てしなく辛かった。

 

 

 

あの辛さはどこへ向かっているのだろう。

 

 

さまよったって

 

 

I came home!

 

 

 

 

Come back!

 

 

 

 

家に帰ってきました。

 

 

 

 

久々に自宅にいる気がする。

 

 

 

あの場所が心地よかった。脳みそとろとろになっていたけれど、誰かがいる環境が嬉しかったし退屈しなかった。その反面、自宅に帰らない罪悪感が少し、あった。

元々、20年間実家暮らしだったから、家に帰らないのがあまり慣れていなかった部分もあるのだろう。でもそれ以上に、このままでいいのかな、とかいずれ迷惑になるんじゃないか、とか思っていた部分もあった。

 

 

 

本当は帰らないでもう少し居たかったけど、近くにいすぎるのもよくないのかな、とか思ったりして、後、部屋の片づけや宅配の受け取りの段取りとか、まあいろいろほったらかしにしていたことがあったから、グッバイしちゃったけど。

 

 

 

でも一番は、家空けすぎるとゴキブリがw代わりに住むんじゃないかとw気が気でwwwwww部屋汚いしw

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、考えることがある。一本道に横から入って、勝手に道を分岐させ、右の道は(元の一本道の続きで)、先に道凍結注意や岩落下注意、崖注意の立て札を立てて、左の道は、春のように花や草木が生えているように見せ、水たまり有の注意書きしかしていない、そんな道をつくってしまった気がしている。

 

 

 

 

 

 

もしかしたら右の道に行っても、岩が落下してくることはなく、崖注意と書いてあるけれど、ちゃんとガードレールで落下防止しているかもしれない。大したほど凍っていなく、歩いているうちに溶けていく、そんなものかもしれない。

 

 

 

 

 

もし、歩き疲れた人がその分岐点に立ったらどう思うのだろう。やっぱり歩きやすく心地がよさそうな左の道を行くかもしれない。

 

 

 

 

 

でも左の道は、もしかしたら思ったより歩きにくい道かもしれない。あっちの道の方がよかったのかもしれないと、後悔するかもしれない。

 

 

 

進んだ先が、本当に想像していたようなお花畑で進んでよかったと、逆に左の道は想像していたのと違いがっかりするかもしれない。でも、これは進んでみないとわからないものか。

 

 

 

 

 

 

選択肢を作ってしまうのはよくないのかもしれない。誰が作ったのかわからない。道に入り込んだ人?歩き疲れた本人が無意識に作り上げた?

 

本当は知っている。それは利己的で醜くあさはかなアホ。本当はそんな道ない方がよかったのかもしれない。

 

 

 

 

ブログも前のようにおちゃらけたふざけたようなものばっかり書いていればよかったのかもしれない。

 

 

 

 

弱かった。

 

 

 

いつまでも弱いままでいることはできない、なんて言葉が染みた時もあった。すべてにおいて強くなれることはまだできそうにない。できるのかもわからない。

影響されやすいのだろうか。誰かに影響されるのはよくないことなのだろうか。

 

 

 

 

なにか確かな信念を持っていればよかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

自分はどうすればいいのだろう。正直に生きたほうがいいのかな。

 

 

 

 

 

 

左の人差し指が少しまだ痛い。

 

 

 

 

痛いのとんでけー☆

 

お留守番サービス


青い空。






白い雲。






勇気を持って踏み出そう。







踏み出せば、突然の雨だったり、蒸し暑く、時には立ち止まってしまいそうになるけれど。







そういう時はゆっくりでもいいから進んでいってほしい。








いつかかならず辿りつけるから。
















イオンに。












こんにちは。留守番最中のハンツキです。






バイクの鍵をLostったので、明日、鍵屋さんに来てもらって作ってもらいます。






話によると、明日来る人は、根はいい人なんだけど、ちょっと変わったじいさんが来るとのことで、今から心の準備をしています。











今、眠いです。






眠くてごろごろしちゃいます。










うあー。じたばた、じたばた。







ごろごろ。








ぼふんぼふん。










抱き枕があるって幸せ。