やみくも


青い空。白い雲。日差し。木々の緑。気温。蝉の声。






夏。7月下旬の終業式の日を想起させる情景。



最近はゲリラ豪雨や台風で天気があまりよくなかったから、久々に天気がいい。周りの景色に意識を傾けることがあんまりなかったから、少し新鮮。






去年の夏は秩父に観光に行ったり、花火見たり、江ノ島行ったりプールで遊んだりしていた。ずっと前に買った一眼レフをぶら下げて、たまの機会だからって写真やムービーを撮っていた。





見返すとなんだかその時を思い出して懐かしい。





一眼レフで撮った写真は、アイフォンとあまり変わらなかったりするけれど、うまく撮れれば、誰も踏み入れない切り取られた別の世界みたいな感じがして、ちょっと神秘的な感じがする。






カメラ撮る人って自分が写らないから、取られる側を観察することが出来るけれど、そこに自分がいないのは、ちょっと寂しかったりもした。








最近は一眼レフを持ち歩くことが少なくなった。






一眼レフを買ったきっかけが、肉眼で見る景色が一番綺麗だと思っていて、その景色に近い写真が撮りたかったから、バイト代をはたいて買った。






でもなかなかうまく撮れなくて、マニュアル本を買ったりしたけれど、少し読んだだけで本棚にしまってある。


やる気が出るときもあるんだけれど、難しくてなんだかやめちゃった。







空を見上げると、白い立体の雲がいくつも流れている。




ゆっくりと、ゆっくりと流れている。






雲の流れを見るのは好きな方だ。なんだか気持ちが和らぐ。

青い空間に白い塊があるのは、雲が映えると思う。






たまには地べたに寝っ転がって、雲の流れを見ていたい。





生まれ変わったら雲になりたいという人がいるけれど、その大半の理由がゆっくり進んでおおらかな感じがするから、自分もなにも考えず流れたい、どの感じなのだと思う。






雲もゆっくりと流れてばかりではいなく、速く、目を疑うような速さで流れたり、散り散りになったり、形を変えて流れている。





風に流されるだけの人生を送りたいのだろうか。風に影響され、自分が変わっていく人生を歩みたいのだろうか。

嫌なことも全部、風がつくりそれを有無を言わず受け入れなくちゃいけないのは嫌じゃないのか。






その悲しみもいずれ雨となって地面に流れて消えていくのだろうか。








僕も雲のようになりたいとは思わないけれど、雲のように白く、立体的になりたいと思う。







そろそろ研修が始まる。日常に戻る。

嫌なことも悲しいことも雲のように流れて、楽しいことや嬉しいことに形を変えてどこかに辿り着けるといい。








誰かの雲が僕のところにこないだろうか。

雨を降らせて、涼しませてくれないかな。